仕事は楽しいかね?
「この数年、転職する人が続出して困っている」というのが今回の依頼のきっかけだった。確かに入社2~3年目の人達に転職する傾向は年々増してきている。
話している内に「若い人達が仕事をする理由をどう考えているのかを知りたい」
そこで「仕事とは何か?」というテーマで、入社2~3年の社員さんと経営層とのセッションをするということになった。
多分に哲学的なテーマで、どう進めるか、どんな回答が出てくるのかを想定し、進めるプロセスをつくってはみたものの、付き合いが短く、この会社の風土も聞いただけで、ワタシ自身の体感レベルまではほど遠く、把握できていない状態の中でスタートになるが、それでもいいか?と確認した。すると一般論でも、ワタシの経験からの話でも良い、最終的な結論がでなくても、考える場をつくってほしいということでのスタートとなった。
マズローの欲求5段階に基づいたような模範解答だった。
出だしとしては順調。経営層はいたって柔和な表情。和やかな雰囲気だった。
彼らが本当にそう思っているのかどうかは別としても、即答できてしまうことに違和感を覚えた。
正直のところをいえば、びっくりした。
「こんなに成熟した考えを持っているのか・・・」
同じ質問を社会人2~3年目のワタシにされても、到底このような回答はできなかっただろう。
それだけ不勉強であったし、ましてやこのような質問を自らがする発想もなく、そういう質問をされる環境にいたわけでもく、常に現状に満足ができずにいて、
不満を撒き散らしていたように思う。
社会人2~3年目のワタシは、今回の参加者が答えたところとは対局に位置にいて、仕事をする理由なんてものは考えたこともなければ、「仕事は仕事。まだ他にやりたいことあるし」と思っていた。
そのようなワタシ自身の話をした上で、以下を解説した。
仕事をする理由・働く理由は評価しようがないが、その理由が行動に現れ、その行動によって創り出す成果に違いが出ることになるだろう。
「まずは指示されたことをする」
「上司と共有したマニュアル通りにこなせば指示はなくても仕事はできる」
「求められた成果や結果を出すために決まった手順をしっかりもれなくやる」
といった回答がやはりスラスラと出てきた。
雰囲気としては、なんの滞りもなく、あくまで和やかな状態だった。
これらの回答は入社2~3年の内に上司や先輩から教わり経験したことからの回答だとすぐにわかった。
会社としては、業績は安定させたい一方で、拡大したい意思もある。
その意味で、あらゆる職種で効率化を図り、手順を一定させて、生産性の向上を図ってきた。
なので、決められた行動や成果といったところで評価することが常となる。
ならば冒頭の違和感の正体はいったい何なのか?
ワタシは、この段階で準備していたプロセスを無視することにした。
すると、急に参加者全員が黙り込んでしまった。空気が硬直した。
ワタシはこの空気の硬直状態を「考えてる状態」と捉え、しばらく待つこにした。といっても3分ぐらいだが・・・。
そうすると参加者同士で、小さな声でボソボソ会話を始めた。
「上司からも先輩からも言われたことだけやってろと言われたしねぇ・・・」
「締切があるので、それに追いつくだけで必至だし・・・」
「意見を言ったら、わかってないと言われてしまうし・・・」
ほぼ不満の声による小さな渦が発生した。
「働く理由」を知識として知っていて、それを答えただけだったのだろう。
そして「仕事の進め方」は経験から知ったといっても、教わったことに他ならず、ここに明確な疑問を持っていないとわかった。
彼ら参加者は知っていることを生きているわけではなく、知識としてただ知っていることを答えただけだったと判断できた。
最初の段階で違和感を覚えたことを話した上で、その違和感の正体についても感じたことを話した。
特に「知っていることを生きているわけではない」という下りで、参加者がハッとする反応があった。
もちろん「知っていることを答えたこと」自体は、悪いことでもないし、否定することでもない。「ただ知っていることと知っていることの関連をもうちょっと考えてみると、何か見えるかも知れませんよ」と付け加えた。
そこでホワイトボードにいくつかの質問を書いた。
・マニュアル通りやっていけば、働く理由としての自己実現を図れるか?
・指示された通りやっていれば、働く理由としての自己成長は図れるか?
・決まった手順だけやっていれば、ずっと経済面の確保は続くのか?
・マニュアル通りでやっていれば、達成感や満足感を得られるか?
若い人たちは、首を横に振っていたが、同時にどうしていけばいいのかがわからないという表情を浮かべていた。
ここで経営層の一人が「ちょっと話たいことがあるんだが・・・」と参加者の前に椅子を持ってきて、座った。
「それらはもちろん大事だよ。この会社でやっていく以上は基本だ。しかし重要ではないんだよ。」
「それらはあくまでも仕事をしていく上での出発点なんだな。完成点でもなくゴールでもない。そもそも仕事のやり方にゴールなんてものはないだろうしね」
「指示やマニュアルの中に矛盾することや不可解なことを見つけて、その中で生まれた疑問を解消していきながら、自分なりの仕事の進め方を見いだしていくことだと思うぞ。それを繰り返し進めていくことで、成果に繋がっていくし、経済も確保できるし、自己成長もあるだろうし、自己実現にもつながっていくんだろうな。」
「そうしたことを繰り返していけば、新たな基本、会社としてのスタンダードが生れてくるんだろうな」
「まずは何が駄目なのか、それをどうすれば良いのかを見極めて、考えてみてほしい。ぜひそうしてもらいたい」
このアドバイスともいうべき話は、それぞれが創り出す仕事の質を問われているということだ。仕事の質を高めていけば、参加者が回答した「仕事をする理由/働く理由」につながるということだ。
「自分が抱えている仕事を進めていく上で、矛盾点や不可解なことを発見したとしましょう。そしてその解決策を持ち合わせていないとしましょう。ここでこれを解決するためには、自身に何が足りていて、何が足りていないのかを明らかにしていくことで、自身が何をすればいいのかは自ずと見えてきますよ。それに自ら取組むかどうかでしょう。」
そして社長が更に「そういう意味では、自分の未熟さを真摯に受け止めることだと思いますよ。我慢すべきは我慢し、粘り強く、努力を重ねていくことが必要だねぇ。フォッフォッフォッ」と笑った。
「その努力を楽しんで取り組むことができればいいんだがなぁ。少なくとも私はそうしてきた。けど、この先はどうするかわからんがね。」
と付け加えた。
最後の「この先はどうするかわからんがね」というのは、「仕事の進め方」という質問に、一定の答えはないということだ。
人の成長につれ、仕事の内容も変わり、責任も大きくなってくると、仕事の意義は変化して当然だろう。
一人前と言われるようになるまでに、どのような姿勢で仕事をするか、どれだけの経験が必要かという定説だ。
広告業界では、有名なものに「電通の鬼十測」がある。
さらにグラフィックデザイン業界では、「残業してでも納得いくまでやり遂げよ。」がある。
これらの姿勢に対する定説は、仕事に対する姿勢に関して表している。
概ね全てに共通することとしては、仕事に対する情熱や責任感のことを言い表している。
「入社して3年以内の転職は、絶対的に不利だし、思うような職は見つからない。」というのだ。
どんな業界であっても、3年以内で仕事を丸々任されることはほぼあり得ない。
経歴書にいくら実務経験や実績をたくさん書いたところで、「3年も続かない人」とみなされ、書類の段階で篩いに掛けられるということだった。
但し、「圧倒的な実績とその証明となるもの」があれば話は変わってくるけどもねとも言っていた。
ここで言う証明というのは、社会的に認められたものであるとか、少なくとも元の職場や取引先経営者からの推薦状のことを言っている。
ワタシがかつていた広告業界にも、電通鬼十測の他に、経験年数に関する定説があった。
特に映像やイベントにたずさわった人であれば、経験面を表す言葉として「弁当8年、台本10年」と聞いたこともあるだろう。
仕込みから実施から本番を経て、撤収までに関わる人の朝・昼・番の弁当の数を確実に読めるようになるまでに8年かかり、台本やシナリオを書けるようになるまで10年かかるというものだ。
これを文字通り「弁当8年」とだけ理解してしまうと、弁当手配だけに8年もかけるのかぁ・・・とため息が出て、プロデュースだの、企画だの、演出だのというものは、途方もなく遙か彼方の話になってしまい、嫌になるだろう。しかしそういうことではない。
必要経費と制作予算をきっちりもれなく組み立てられるようになるまで8年かかるということであり、その予算の中できっちりとした構成を創れるようになるまで10年かかるという意味だ。
そして努力を楽しむというのは、難しいことかも知れない。
努力はしんどいものだし、継続しなければ努力にはならないものだとは誰もが知っている。
少なくとも楽をするためには、どうすればいいかを考え、その方法を創り出すことにつながる。
これが結構、しんどいものであるし、めんどくさいものだ。
ここで自身を前に進めるか、その場で留めるかで、楽しめるかどうかの違いが生れるのだろう。
不思議なもので、しんどい・めんどくさいと思いながらも前に進めていけば、いつしか転がしだし、楽しいものに変化していく。
達成感を感じたこと、満足感を感じたことを思い出してみれば、誰しも、しんどいこと・めんどくさいことに前進してきたこと経験があるはずだ。
総じて言えば、その個人の努力が自身のビジョンに向かっているのなら、仕事のしんどさは通過点に過ぎず、仕事そのものは楽しく面白いものになってくる。
自分が仕事をする理由が明確で、自身がどこに向かうのか、何を成し遂げたいのかを朧げであっても持つことができたなら、そこから生れる仕事に取組む姿勢は楽しく、仕事を楽しむことができるだろうと思える。
上の書籍は
「仕事は楽しいかね?」 デイル ドーテン (著), Dale Dauten (原著), 野津 智子 (翻訳)
試すこと、日々変化が必要であること、偶然を見落としていること…。
本書に書かれたこうしたメッセージは特別なものではないが、大切なことに気づかせてくれる。
話している内に「若い人達が仕事をする理由をどう考えているのかを知りたい」
そこで「仕事とは何か?」というテーマで、入社2~3年の社員さんと経営層とのセッションをするということになった。
多分に哲学的なテーマで、どう進めるか、どんな回答が出てくるのかを想定し、進めるプロセスをつくってはみたものの、付き合いが短く、この会社の風土も聞いただけで、ワタシ自身の体感レベルまではほど遠く、把握できていない状態の中でスタートになるが、それでもいいか?と確認した。すると一般論でも、ワタシの経験からの話でも良い、最終的な結論がでなくても、考える場をつくってほしいということでのスタートとなった。
➽➽仕事をする理由と評価のつながり
➽仕事をする理由/なぜ働くのか?
仕事をする理由/なぜ働くのか?を入社2~3年目の参加者に質問すると、生活のための経済面の確保、社会貢献を通じた自己実現、能力・スキルアップを通じた自己成長といったものが、スラスラと回答として出てきた。マズローの欲求5段階に基づいたような模範解答だった。
出だしとしては順調。経営層はいたって柔和な表情。和やかな雰囲気だった。
➽回答への違和感
しかしワタシの頭の中は「???」と疑問符がうずまき始めていた。彼らが本当にそう思っているのかどうかは別としても、即答できてしまうことに違和感を覚えた。
正直のところをいえば、びっくりした。
「こんなに成熟した考えを持っているのか・・・」
同じ質問を社会人2~3年目のワタシにされても、到底このような回答はできなかっただろう。
それだけ不勉強であったし、ましてやこのような質問を自らがする発想もなく、そういう質問をされる環境にいたわけでもく、常に現状に満足ができずにいて、
不満を撒き散らしていたように思う。
社会人2~3年目のワタシは、今回の参加者が答えたところとは対局に位置にいて、仕事をする理由なんてものは考えたこともなければ、「仕事は仕事。まだ他にやりたいことあるし」と思っていた。
そのようなワタシ自身の話をした上で、以下を解説した。
➽仕事をする理由と評価のつながり
実際は、仕事をする理由、働く理由は人それぞれであって、どの回答が正解で、素晴らしいかは評価しようがない。仕事をする理由・働く理由は評価しようがないが、その理由が行動に現れ、その行動によって創り出す成果に違いが出ることになるだろう。
➽➽「仕事の進め方」とはどのようなことを言うのか?
では「仕事の進め方」とはどのようなことを言うのか?と投げかけてみた。「まずは指示されたことをする」
「上司と共有したマニュアル通りにこなせば指示はなくても仕事はできる」
「求められた成果や結果を出すために決まった手順をしっかりもれなくやる」
といった回答がやはりスラスラと出てきた。
雰囲気としては、なんの滞りもなく、あくまで和やかな状態だった。
これらの回答は入社2~3年の内に上司や先輩から教わり経験したことからの回答だとすぐにわかった。
会社としては、業績は安定させたい一方で、拡大したい意思もある。
その意味で、あらゆる職種で効率化を図り、手順を一定させて、生産性の向上を図ってきた。
なので、決められた行動や成果といったところで評価することが常となる。
ならば冒頭の違和感の正体はいったい何なのか?
ワタシは、この段階で準備していたプロセスを無視することにした。
➽仕事をする理由とのつながりはいかに?
そこで「仕事をする理由」で回答したこと「仕事の進め方」で回答したことは、どう繋がっているのか?と質問をしてみた。すると、急に参加者全員が黙り込んでしまった。空気が硬直した。
ワタシはこの空気の硬直状態を「考えてる状態」と捉え、しばらく待つこにした。といっても3分ぐらいだが・・・。
そうすると参加者同士で、小さな声でボソボソ会話を始めた。
「上司からも先輩からも言われたことだけやってろと言われたしねぇ・・・」
「締切があるので、それに追いつくだけで必至だし・・・」
「意見を言ったら、わかってないと言われてしまうし・・・」
ほぼ不満の声による小さな渦が発生した。
➽違和感の正体
ワタシが覚えた違和感の正体はこの不満だった。「働く理由」を知識として知っていて、それを答えただけだったのだろう。
そして「仕事の進め方」は経験から知ったといっても、教わったことに他ならず、ここに明確な疑問を持っていないとわかった。
彼ら参加者は知っていることを生きているわけではなく、知識としてただ知っていることを答えただけだったと判断できた。
最初の段階で違和感を覚えたことを話した上で、その違和感の正体についても感じたことを話した。
特に「知っていることを生きているわけではない」という下りで、参加者がハッとする反応があった。
もちろん「知っていることを答えたこと」自体は、悪いことでもないし、否定することでもない。「ただ知っていることと知っていることの関連をもうちょっと考えてみると、何か見えるかも知れませんよ」と付け加えた。
そこでホワイトボードにいくつかの質問を書いた。
➽➽マニュアル通りは基本だが、ゴールではない。
・マニュアル通りは重要か?・マニュアル通りやっていけば、働く理由としての自己実現を図れるか?
・指示された通りやっていれば、働く理由としての自己成長は図れるか?
・決まった手順だけやっていれば、ずっと経済面の確保は続くのか?
・マニュアル通りでやっていれば、達成感や満足感を得られるか?
若い人たちは、首を横に振っていたが、同時にどうしていけばいいのかがわからないという表情を浮かべていた。
ここで経営層の一人が「ちょっと話たいことがあるんだが・・・」と参加者の前に椅子を持ってきて、座った。
➽マニュアル通りは基本だが、ゴールではない
経営層の話は、「仕事をすること」で出てきた彼らの回答を復唱しながら、そりゃそうだと肯定しながらも、だけどな・・・と続けた。「それらはもちろん大事だよ。この会社でやっていく以上は基本だ。しかし重要ではないんだよ。」
「それらはあくまでも仕事をしていく上での出発点なんだな。完成点でもなくゴールでもない。そもそも仕事のやり方にゴールなんてものはないだろうしね」
「指示やマニュアルの中に矛盾することや不可解なことを見つけて、その中で生まれた疑問を解消していきながら、自分なりの仕事の進め方を見いだしていくことだと思うぞ。それを繰り返し進めていくことで、成果に繋がっていくし、経済も確保できるし、自己成長もあるだろうし、自己実現にもつながっていくんだろうな。」
「そうしたことを繰り返していけば、新たな基本、会社としてのスタンダードが生れてくるんだろうな」
「まずは何が駄目なのか、それをどうすれば良いのかを見極めて、考えてみてほしい。ぜひそうしてもらいたい」
このアドバイスともいうべき話は、それぞれが創り出す仕事の質を問われているということだ。仕事の質を高めていけば、参加者が回答した「仕事をする理由/働く理由」につながるということだ。
➽自分の未熟さを真摯に受け止める
このアドバイスを受けて、ワタシは付け加えた。「自分が抱えている仕事を進めていく上で、矛盾点や不可解なことを発見したとしましょう。そしてその解決策を持ち合わせていないとしましょう。ここでこれを解決するためには、自身に何が足りていて、何が足りていないのかを明らかにしていくことで、自身が何をすればいいのかは自ずと見えてきますよ。それに自ら取組むかどうかでしょう。」
そして社長が更に「そういう意味では、自分の未熟さを真摯に受け止めることだと思いますよ。我慢すべきは我慢し、粘り強く、努力を重ねていくことが必要だねぇ。フォッフォッフォッ」と笑った。
「その努力を楽しんで取り組むことができればいいんだがなぁ。少なくとも私はそうしてきた。けど、この先はどうするかわからんがね。」
と付け加えた。
最後の「この先はどうするかわからんがね」というのは、「仕事の進め方」という質問に、一定の答えはないということだ。
人の成長につれ、仕事の内容も変わり、責任も大きくなってくると、仕事の意義は変化して当然だろう。
➽➽業界の定説をどう理解するか?
どんな業界にも定説がある。一人前と言われるようになるまでに、どのような姿勢で仕事をするか、どれだけの経験が必要かという定説だ。
➽働く姿勢として求められること
IT業界では「指示されて動いているうちはサラリーマン、自ら動いて利益をもたらせばビジネスマン」といわれていると聞いたことがある。広告業界では、有名なものに「電通の鬼十測」がある。
さらにグラフィックデザイン業界では、「残業してでも納得いくまでやり遂げよ。」がある。
これらの姿勢に対する定説は、仕事に対する姿勢に関して表している。
概ね全てに共通することとしては、仕事に対する情熱や責任感のことを言い表している。
2020.08.14追記
「電通の鬼十測」は2017年度の社員手帳から削除された。
➽どれだけの経験があればいいいのか?
転職コンサルタントをしている友人にこんなことを聞いたことがある。「入社して3年以内の転職は、絶対的に不利だし、思うような職は見つからない。」というのだ。
どんな業界であっても、3年以内で仕事を丸々任されることはほぼあり得ない。
経歴書にいくら実務経験や実績をたくさん書いたところで、「3年も続かない人」とみなされ、書類の段階で篩いに掛けられるということだった。
但し、「圧倒的な実績とその証明となるもの」があれば話は変わってくるけどもねとも言っていた。
ここで言う証明というのは、社会的に認められたものであるとか、少なくとも元の職場や取引先経営者からの推薦状のことを言っている。
ワタシがかつていた広告業界にも、電通鬼十測の他に、経験年数に関する定説があった。
特に映像やイベントにたずさわった人であれば、経験面を表す言葉として「弁当8年、台本10年」と聞いたこともあるだろう。
仕込みから実施から本番を経て、撤収までに関わる人の朝・昼・番の弁当の数を確実に読めるようになるまでに8年かかり、台本やシナリオを書けるようになるまで10年かかるというものだ。
これを文字通り「弁当8年」とだけ理解してしまうと、弁当手配だけに8年もかけるのかぁ・・・とため息が出て、プロデュースだの、企画だの、演出だのというものは、途方もなく遙か彼方の話になってしまい、嫌になるだろう。しかしそういうことではない。
必要経費と制作予算をきっちりもれなく組み立てられるようになるまで8年かかるということであり、その予算の中できっちりとした構成を創れるようになるまで10年かかるという意味だ。
2020.08.14追記
現在では、あらゆる業界・職種でIT化・IT活用が進み、またテンプレート的なものが用意され、データや素材を放り込めば、それなりのものが得られるようになってきており、人がやらなくても済む業務が増えてきている。反面、デザイン思考・コンセプト思考的がビジネスにおけるクリエイティブなものとして求められている。もうマニュアルだけ、仕組みだけでルーチン的に動かせるものは、人は必要ないと言われているようなものだ。
➽➽仕事を楽しむ
どんな業界でも、経験と創り出してきた成果とその質が求められるのは変わりはないだろう。そして努力を楽しむというのは、難しいことかも知れない。
努力はしんどいものだし、継続しなければ努力にはならないものだとは誰もが知っている。
➽仕事は楽しいかね?
楽しむといっても、楽をすることではない。少なくとも楽をするためには、どうすればいいかを考え、その方法を創り出すことにつながる。
これが結構、しんどいものであるし、めんどくさいものだ。
ここで自身を前に進めるか、その場で留めるかで、楽しめるかどうかの違いが生れるのだろう。
不思議なもので、しんどい・めんどくさいと思いながらも前に進めていけば、いつしか転がしだし、楽しいものに変化していく。
達成感を感じたこと、満足感を感じたことを思い出してみれば、誰しも、しんどいこと・めんどくさいことに前進してきたこと経験があるはずだ。
総じて言えば、その個人の努力が自身のビジョンに向かっているのなら、仕事のしんどさは通過点に過ぎず、仕事そのものは楽しく面白いものになってくる。
自分が仕事をする理由が明確で、自身がどこに向かうのか、何を成し遂げたいのかを朧げであっても持つことができたなら、そこから生れる仕事に取組む姿勢は楽しく、仕事を楽しむことができるだろうと思える。
上の書籍は
「仕事は楽しいかね?」 デイル ドーテン (著), Dale Dauten (原著), 野津 智子 (翻訳)
試すこと、日々変化が必要であること、偶然を見落としていること…。
本書に書かれたこうしたメッセージは特別なものではないが、大切なことに気づかせてくれる。
2013.09.05追記
今年はブラック企業という言葉が流行った。労働環境の見直しが求められていることの現れだと思える。
働くこと自体に関する考え方や企業としての具体的な対応策は大きく変わってきている。しかし少なからず過敏で、過保護になりすぎているようにも感じる。まるで腫物にでも触れるような扱いが多いことに疑問がある。
より良い環境で心地よく働けることには良いことだし、否定するものでもないとは思う。その分、仕事に対する情熱や責任感が希薄になりつつあることも同時に感じる。
2020.08.14追記
2018年の後半あたりから、中小企業も健康経営に乗り出した。これを私は「イキイキ環境」と勝手に読み替えている。しんどいことでもめんどくさいことでもイキイキとチャレンジできる環境さえあれば、仕事をする理由も自身のビジョンも持った人材が集まり、また互いに成長していくものだと信じている。そしてイキイキ環境は企業文化を新たにしていくという経営方針であり、経営陣だけでなんとかなるものでもない。社員一人ひとりが何ができるかを考え行動することも求められる。そうやって新たな企業文化が培われていく。
コロナ禍で、企業活動は制限がかかり、大手企業でも倒産や業績不振が相次いでいる。その中でも新たな企業風土・文化の追求をしていく企業だけが生き残るということは想像に難くない。