目的は何かと聞く人

目的=何のためにそれが在るのか?何のためにやるのか?誰のためにやるのか?この2つの問いが、目的を明らかにするためのものとしては一般的だ。この問いに対する明確な回答があれば、それでいい。

しかし目的は何かという質問があった時は、たいていの場合その目的は伝えられていないのか、伝わってはいないといっていいだろう。伝えていたとしても曖昧のままになっている。


➽➽目的を設定するのは上司の役割なのは確かだが・・・

目的がなければ、例えば目標は単なる数値でしかない。数字に意味を見いだせずになってしまうので、ヤラされ感が生まれる。

決まった手順や仕組みで動いている場合は、単に機械的にこなしているだけで、そこにやる気もその気も生まれることはあまりない。

研修講師やコンサルタントがよく使うフレーズには、「目的をしっかり提示しなければ部下のやる気は生まれません」というものがある。

まさしく「目的なくしてやる気なし」といわんばかりのフレーズだ。

これには私自身は懐疑的だ。このフレーズそのものが部下側に立って、目的を明確に伝えていない上司の怠慢が前提となっているからだ。

➽目的の説明時に疑問を持つ

研修や会議のファシリテートをしている時には、取り組むことの目的を説明する。そして説明していて、いつも「疑問」に思うことがある。

それは「この人達は、普段の業務の中でもいちいち目的はなんですか?と上司に聞いているのだろうか?」と。そして上司は毎度毎度きちんと回答するのだろうか?と。

質問された上司の多くは恐らく、きちんと答えるだろう。そうしないとモチベーションが維持できないと思っているからだろう。そのように研修などで教わって、ただただそう思い込んでいる人もいる。

いずれにせよ、きちんと答えることが役割りだと考えている人は多数だろう。

だけど、やる気に影響するからといって義務のように答える必要は本当にあるのか?

➽自動的に目的を聞く人

先日、クライアントの上司と部下の会話を垣間見る機会があった。上司が指示を出し、その目的を部下が質問するという場面だった。

見ていると、部下がほぼ自動的に「目的は何か?」と質問していることがわかった。というのも、上司の回答に「前にも言ったけど」「以前から言っているように」「この前も言ったはずだけど」と何度も出てきたからだ。

それでもこの上司は、自身の伝え方に問題があったのだろうと思って、回答を重ねていると話してくれた。

このように、何かの指示が出された時に、ほぼ自動的に「目的は何ですか?」とあまり考えずに質問する人が少なからずいる。自分なりに考えずにほぼ自動的に質問をする人達だ。

いつも回答しているのかを尋ねてみた。これには「何だと思いますか?」と返したこともあるとの返答。そして「質問しているのは私なんですが。」と戻してきたこともあったらしい。

アタマの回転が早い人がハマりがちなパターンではあるが、確認することで自分の責任を回避するために使っている人もいることも確かだ。

責任云々のことはともかく、そうやって切り返してくるアタマは持っているのに、自問で目的解明ができずにいること自体が不思議だ。

そういう場合はきつく返すこともあったという。「それがわからないぐらい、自身の目的意識が低いということをそろそろわかっておいた方がいいんじゃないの?」これは強烈なイヤミなフィードバックだ。

次の日、部下は出社してこなかったという。

この経験から、目的に関する以外のことでも、何度も伝えるようにしているということだった。

ちょっと傷つけたかなと思ったら、すかさず薬を塗っておくことはしておきたいところだ。「それがわからない人だとは思えないけどね。期待して待ってます。」といったような一言は必要だろう。このような薬の一言があるかないかの差は大きいだろう。

➽➽目的を意識することは、自問すること

目的自体は重要なことは誰もがわかっている。

だけどビジネスの現場でそれを毎度毎度聞くのもどうかと思う。

それでなくても皆忙しいし、やることがいっぱいなのだ。

それぞれが普段から目的を持って、モノゴトに取り組んでいれば、いちいち確認すること自体は減るだろう。

もっと言うと、何事にも目的というものがあるのだから、目的自体を自問していくことが上司と部下の関係性のみならず、チームにも好影響をもたらすだろうし、モノゴトが進みやすくなるだろう。

会議や打合せの席で、目的を確認することは必要だ。会議は独りよがりのものではないし、最低限共通の認識を生む場である。目的があれば、話の逸脱や混乱を防ぐことにもつながる。目的の不明の会議はもとから必要のない会議でしかないことは以前書いたので、そちらを参照していただきたい。

➽質問をすることは協力を求めることでもある

質問をして回答を得るということは、違った見方をすれば、それは協力を求めることでもある。協力してもらいたい分、それだけ自助努力も必要だということだ。

そう考えれば、義務のように答える必要があるのか?という問いに対する回答しては「義務はあるが、応えるかどうかは状況に応じて判断せよ」というところだろう。

今のところ、そう考えている。


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