完璧な評価はないというのは本当か?
評価をする時期になると、管理職の人々は、憂鬱になるらしい。いや、なる。それでなくても忙しいところに、面談をして、しっかり評価を伝え、納得を得ることに神経を使う。できればそんなことはしたくないと思う人もいるようだ。そうは言っても、部下の評価は管理職の大きな仕事の一つなので、これはしっかりとやり遂げねばならないだろう。それをしなければ会社は回らなくなるし、誰もが困ることになってしまうのは言わずもがな。
どんな業界でも、いろんな管理職の人がいて、迷ったり、悩む人は実際多い。悩んでいる内はまだいい。なんとかしっかりと全うしようと考えているからだ。しかし考えることを諦めてしまった人や、定期的な決まりごとだからと機械的にやっている人や、ルールや制度をよく理解せずに自分なりの解釈で留めている人や感覚・感情で進めている人、「あいつならこれで十分だろう」とする人も一定数いる。このような人に評価される部下にしてみると、これらのテキトーさは、たまったものではない。
「いやいや私はしっかりちゃんとやっているので大丈夫」と思っていても、やっぱりどこかで見逃していることもある。だからといって神経質になってでもやりなさいということでもない。慎重すぎても困るし、ざっくりでも困る。そこでちょうどいい具合に調整すれば良いということでもない。
言いたいことは一言だ。
「責任を持って、真摯にやってくださいね!」ということだ。
なんの解決策にもならない一言であるのは重々承知の上での一言だ。だけど、当たり前のことだ。この当たり前を忘れてしまっている評価者が一定数いるのだ。と・・・評価者側を悪者扱いするつもりはまったくないのだが・・・。
なぜ、そんな当たり前のことを敢えていうのか?どんな評価制度でも完璧なものはないからだ。それは上司が部下を評価する。人が人を評価するのだから完璧にできるものでもないだろう。そこに納得が生まれ、向上心も生まれ、仕事や生活の質が向上していってナンボのものだろう。これが評価そのものの正体だ。
➽➽評価面談に完璧なものはないからこそ真摯に取り組む
評価面談の目的は大きく3つ。人事考課、人材育成、動機形成の3つだ。そして大抵の企業で仕組みとしての評価も3つで能力評価、態度評価、成果評価で構成されている。
一人につき一回の面談、もしくは数えるほどの面談で、この3つの目的を果たし、仕組みとしての3つを回せるのかは、評価者の技量次第だろうが、実はそれだけではない。そのことについては最後に書く。まずは評価する側の技量に関してを見ていくことにする。
➽会社の方針によって何を重視するかは違う
評価の目的を人材育成的な意味での成長や動機形成に重きを置くのか、それとも結果的な意味での評価に重きを置くのか、会社としての方針がどこに重点が置かれているかで変わる。方針はもちろん理念やビジョンから来ているものだ。
例えば、以下の目的例は同じようでも、まったく違う結論になる。
「評価結果を伝えることで、上司と部下のコミュニケーションを図る」
「評価結果を伝えるために、上司と部下のコミュニケーションを図る」
前者は評価が確定していて、交渉の余地はなく、コミュニケーションの目標は評価される側から納得を得ることだ。後者は一応の評価はあるが、コミュニケーションの目標は、双方の合意を得るとことだ。たった2文字の違いで、意味合いは大きく変わる。
評価者がまずしなければならないことは、評価面談の目的が何であるかを確認し、そのために面談の場をどのようなものにするのかを明確な意図として持つことだ。そして、この目的を理解せず、意図も持たない評価者がいるのは、困りものだ。
➽評価の目的やその影響を理解していない評価者
大抵の場合、目的をしっかりと理解していない評価者の傾向として、準備が不十分だ。いわゆる「忙しいこと」を常に言い訳に持っている人達だ。忙しいことを言い訳にするのは、事実だろうから別に構わないとが、それと評価ができるできないは別問題だということは把握してもらいたいところだ。要するに時間的に追われてしっかり評価していない。これは「評価者としての意識の有無」の問題だ。
また、これまた多いのが、そもそも制度のルールを把握していないということだ。面談の進め方もわかっていないといった知識・スキルの問題でもある。一回訓練したからそれで十分、あとは実地で・・・というのは、あまりに酷い。
こと評価に関しては、仮説でやるものではないから、実地訓練なんてものは、前提として設定するものではないし、評価される側にしてみれば、「はぁ?何しちゃってくれてるの?」てなもんである。
また目的をしっかり理解していないがために、面談を人材育成の機会に活かそうと思っていないといった管理職としての意識の問題もある。
そして目的や重点がどこにあるのかを管理職が長い人でも知らない人が一定数いて、彼らは感覚や感情で評価する傾向があることも統計で報告されているのを見たことがある。(残念ながらそれが何であったか忘れたが・・・)
➽思い込みの心理バイアスに囚われたままでいる。
感覚や感情で評価することで多いのは、日常会話の中でも頻繁に出てくる「先入観」による評価で、私はこれを「無意識の垂れ流し評価」と呼んでいる。よくあるのは、直近の出来事に影響されて評価をすることだ。
ずっと良い成績・成果をもたらしている人がいて、「これがしっかりできているということは、あれに関してもきっと良くできているはずだ」というものだ。蓋を開けてみれば、その「あれ」はチーム内の他者がやっていたことで、その人のことではなかったということがある。評価される側にとってはある意味ラッキーかもしれないが、「そういうことだから、次はこの辺りの仕事をやっても大丈夫だよね」という話の展開になることもある。ここで受けてしまって、後で評価がだだ下がりになるというのは、よくある話だ。
また、嫌いだから、扱いにくいから、育てる気が起きないからと低い評価を下す人もいる。これは年配の上司・評価者に多い。言葉を変えれば老害以外の何者でもない。ちゃんと話し合うこと自体を避けてしまっているのだ。
➽評価者のやり方次第・見方次第で悪影響が出る
評価者の先入観ほど怖いものはないが、次に気を付けたいのが、面談において認識のズレから場の空気が固まってしまうことだ。
評価を受ける側が「これだけのことをしてきたのだから、評価としてはこれぐらいだろう」と考えていたことに関して、評価をする側が「これだけのことをしてくれたが、全体から見るとこのぐらいだろう」というものから生まれる認識のズレだ。ここで起きるのは、「納得できない」というものでしかない。最悪の場合、険悪なムードで固まってしまう。双方が譲らずに平行線を辿ることにもなる。一般的な企業ではこういったことは起きにくいとされてはいるが、実際は起きにくいのではなく、起きないようにしているだけだ。それは2つある。
一つは、視点(見方による)ということだ。確かにその通りだ。そしてその見方によるということは大切な考え方だ。しかしこの一言だけで片付けてしまっている。映画やドラマ・小説ならば、それで済む。でも実際はそうもいかない。見方によるのだということに関して理解をしっかりと得られるように説明をしているかどうか。これが重要だ。
二つ目は最悪のパターンだ。食い違いが起きないようにするため、険悪にならないようにするため、もっというと評価者自身いい人でいたいからこその「中心化的評価」をしてしまうということだ。要するに可もなく不可もなくという評価だ。誰のための評価をやっているのか、何のための評価なのかがもはや不明だ。
この2つの食い違いを起きないようにするパターンは、突き詰めると、そもそもが、前提となる目標設定をしっかりせずにテキトーにしかやっていなかったことに起因している。
➽➽評価者によるコミュニケーションの3つ
じゃあ、どうすればいいのかということだが、明確な回答を私は持ち合わせているわけではない。ただ冒頭に書いたように「真摯に評価する」ために、しっかり3つのコミュニケーションをしてくださいとだけしか言えない。
➽面談評価の目的は何かをしっかりとした言葉として伝える。
面談場所にあるホワイトボード、なければノートに書いて見せる。あるいはパソコンに表示するぐらいのことはしてもいいだろう。しっかりと目的を確認する重要性は、長々と上記した。もっと言い出せばあるだろうが、単に評価者をディスるだけに終始してしまうことになるので、もう十分だろう。
➽部下(評価対象者)の話しを聴く。ちゃんと聴く。
評価される側の人の今後の仕事や生活の質に関わるのが評価であるのだ。普段のコミュニケーションも大事だが、この段階でのコミュニケーションはしっかり最後まで、彼らの話を聴く耳を持っていなければならないだろう。彼らの話は過去と将来に渡っての話の両方があるので、過去に注目しがちな評価者は気を付けてもらいたい。
➽近い将来や今後を見据えて話す。
そして評価者であると同時に管理職であるので経営幹部の一人であることを意識すれば、自分が担当する評価対象者の近い将来の仕事や、今後の成長を考えた上での評価をしなければ、彼らに明日はない。これには彼ら自身が描いている将来像を評価者側が把握しているかどうかで大きく変わる。
そうやってこれら3つを通じて部下の成長を促す。しかし必要以上の期待をかけないことも肝要だ。必要以上の期待というものが、また感覚的・感情的バイアスを生み、判断を鈍らせてしまうことになる。
➽➽評価者の技量次第だろうが、実はそれだけではない。
冒頭で、「評価者の技量次第だけではない」という旨のことを書いた。これには昨今、評価者をしつける風潮が強く、評価対象者を甘やかす風潮を感じるからだ。評価面談をちゃんとやるのは上司の仕事とはいえ、「何故、評価される側の準備不足が自ら望む評価を得られないこと」につながっているのかを教えるコンサルタントや講師や書籍はないのか?これは私のなかではずっと謎だ。
だいたいが評価される側も、面談の場でしっかりと主張していないこともある。自分のことなのにしっかり考えずに評価面談の場に臨んでいる人も一定数いる。私自身が会社に勤めていた時は、評価面談の場こそ、会社に自分の成果やチームの功績を認識してもらう唯一の場所であって、その上での評価の認識のズレを修正して、自身やチームにとって有利に持っていく交渉の場であると考えていた。そして、その機会を逃せば、次の機会まで評価が良くなることは一切ないのだから、しっかり準備していた。交渉の場であると思っていたので、繰り出すカードもできるだけ用意して臨んでいた。自分の人生がかかっているし、やりたいこともあるし、それを通じてチームとして成し遂げたいこともある。それを実現できるきっかけをつくる最大のチャンスであると考えれば、準備をすることは当然だ。手ぶらで面談に臨むことはあり得ないとさえ考えていたし、そうしていた。会社を敵視していたわけではない。業績に対する貢献をすることで評価を得るのだから、お互いにちゃんと認めなければならんと考えていただけのことだ。
それでやっと、両者間で納得と次への活力が生まれるわけだ。評価者が目的と仕組み、手順を理解し、評価対象者自身もしっかりと準備をして臨めば評価というものは完璧でないにしろ成立する。
むしろそうしなければ、完璧な評価というものはないというのは本当だということだ。
2020.11.09追記
私は面談評価の場は、交渉の場であるとも考えていたので、理解してくれる人と理解してくれない人と真っ二つに分かれた。そのことに悔いはなかった。多分にエラそうな社員だっと思う(笑)私のようにやらないとしても、評価を受ける側としても、しっかりと準備をして、交渉といかないまでも、しっかりと自身の話をしてもらいたいと思う。
今回の記事は、2015年に書いていたもので、若干の加筆修正をした。クライアントの管理職一年目で初めて評価に臨む方からの「評価の目的」に関するリクエストがあり、過去記事再掲のきっかけとなった。感謝している。