クヨクヨ呪文と完璧念仏

このところの新型コロナウィルスのパンデミック状態に不安を感じて、メンタルが弱くなっている人も見受けられる。
「どうしよう、どうしよう」と思考停止に陥り、行動が鈍っている人達がいる。
あるいは、自分の不安をかき消すためにも、不満を募らせ、批判ばかりしている人達を見ていると、こちらの気持ちが重たくなってくる。

そういう私自身も、自身のメンタルが弱りつつあるのを自覚しているので、ここから脱出するために、メンタルの弱い人の特徴を考えることにした。
私の場合、考えていけば、それが稚拙であっても、大抵のことは乗り切れた過去の経験があるからそうしている。

くよくよ考える


















クヨクヨさんの呪文。

これは既におきたことに対して、ああすればよかった、こうすればよかったと後悔しているパターン。もっと早く行動していればマスクが手に入ったのに・・・というやつだ。
また、このままいったら、ああなるかもしれない、こうなるかもしれないといって、マイナスばかりを考えて不安を抱えているパターンもある。このままトイレットペーパーがなくなったら、どうしよう・・・・という思考。
そんなクヨクヨしている時間があるのなら、「とっととできることをやりなはれ」といっても、クヨクヨパターンにはまっているので、糠に釘にしかならないのも分かる。

同じミスを繰り返し、またやってしまったと、いつまでたっても成長しない自分を罵り落ち込んでいるのも、このクヨクヨさんの内だ。
すぐに諦めてしまう割には、結果をすぐに求め、そこに至るプロセスを疎かにしている人に多いようだ。
「どうして私はできないのか」を見ようとせず、「どうせ私には無理」と諦めサイクルに入ってしまっている。

また他人の成功に腹をたてたり、妬ましく思い、祝うことをせず(ふりぐらいはしているかも)、あれぐらいのことは私にだってできると自分を慰めているのも、クヨクヨさんの内だ。
多少の努力や練習というものもせず、漫然と時間をやり過ごしてしまう人に多い。
だけども、実はそんな自身のことも知っていて、知っているからこそ、余計にクヨクヨしてしまう。成功している人が、完璧ではないにしろ、裏で努力を惜しまず、取組んでいることはわかっている。
傍から見ていると、自分のチカラを信じていないように思えるし、自分にチカラがあることさえ気づいていない

最も強烈なクヨクヨさんがいる。
一人でクヨクヨすることを嫌がり、周囲の人を巻き込み、クヨクヨタイムに付き合わせてしまっていることだ。
これによって付き合ってくれた人達のメンタルも多少はやられてしまう。
そして次回以降は敬遠される。
そのうち疎遠になるというパターン。
気がついたら、周りに誰もいないという・・・。
これだけは相手を選ぶことに気をつけたい。

なんだか自分で自分に「クヨクヨ呪文」をかけているのではないかと思える。
ヒトと比べることなく、モノゴトを多くの違った視点で捉えられるようになるといいのだが・・・。

完璧さんの念仏

リーダー的立場の人によく見かけるのだが、メンバー全員、周囲の人全員、あるいは顧客全員、全ての人に対して、満足してもらうには・・・?と考えている。
そこには、ほぼ不可能な公平性や平等性を求めている面がある。
公平・平等と満足は、ある程度は比例するが、常に格差は存在する。
格差が存在する以上は、ある一点で比例差が大きくなるのは致し方ない。

また感情的には、人を公平・平等に見ることは、本当のところは、多分無理な話だろう。
それを一応可能せしめているのが「基準」というものだ。
この基準が曖昧であったり、ないがしろにされると、一定の満足は決して得られない
満足を追求することは大事ではあるが、「過ぎたるは及ばざるが如し」。
どこかの部分で割り切りや折り合いをつけることも必要だろう。

また完璧さんは相手を満足させようとコントロールしたがる人も時折見かける。
もうこれは言わずもがな。「何様だよ、俺は!」と自己反省した方が良い。
「相手を満足させる」と「相手に満足してもらう」の間にものすごく距離があるのをわかってもらいたいところ。
誰でも他人からコントロールされたくないし、コントロールしようとしている人に対して、必ず抵抗感が生まれる
これを更になんとかしようと、コントロールしようとしても無駄なことだろう。
コントロールできるのは、コトやモノだけなので、ヒトまでできるとは思わないでくださいな。

そして最も強烈な完璧さんは、変化に弱い。
完璧にやろうとする傾向が強ければ強いほど、変化に対応できるかどうかは誰にもわからない時であっても、保証を求める。保証がなければ、パニック状態に陥り、感情的になって、爆発する人もいる。
こういう傾向のある人は、変化に対応したり、新たな試みに取り組もうとする時に、「できない理由」を延々と並べ立てる人も完璧さんに多い。できない理由の最たるものは「今まで、これでやってきたじゃないか!」という状況や環境変化を受け入れられない人達に多い。そして並べたてる理由のほとんどは、ほぼリスクに集中する。
今回の新型コロナウィルスの感染拡大についても、状況が受け入れられず、結局「何もしない」「何も変えない」と決め込んでいる人もいる。それが正解だとはいいがたいが、ひょっとするとそうかも知れない面もある。
難しいところだが、少なくとも他者への協力意識があるかないかの自覚は持っていてほしいところ。


こちらもやはり、自分で自分に「完璧念仏」を唱えているのではないかと思える。
いずれにしても、完璧にやろうとしなくてもいい「許可」を自分に出せればいいのだが・・・。

クヨクヨ呪文と完璧念仏にハマるとろくなことはないので、なんとかしたいところだ。
これらの対処法はあることにはある。

感情のコントロール

感情のコントロールは、対処法の一つではある。
おそらく、完璧な感情のコントロール方法はない。
また即効性があるものも、なかなかない。
あるとすれば、それを信じ切れるかどうかだけの差だろう。

メンタルが強い人がやっていることの一つにこの「感情のコントロール」がある。
とはいっても、メンタル強人の幾人かは、そう言われて「ああ、そうですね。そうかもね。」的な反応しか示さない。
スポーツ選手やアーティストの中でもとことん突き抜けている感じの人たちのことだ。
彼等は努力してメンタルを強くしたというより、能力やスキルを高めていくうちにメンタルが強くなっていったように思える。もちろんメンタル面の面倒を見てくれるコーチやこれに準ずる人の存在も大きい。

じゃあ、そういったコーチを常時付けていられない一般的な人は自分の感情をコントロールしていないのかというと、意外にほとんどの大人がやっている。
ただこのことに多くの人が気づいていないだけのこと。
例えば、怒りにまかせて、感情を爆発させる人はほとんどいないだろう。
つまりは抑制が効いている。
では、メンタルが強いかというと、そういうわけではない。
一時的にはメンタルが強くなっているように思えるが、実際は歯を食いしばり、感情の爆発を抑え、我慢していることが多く、これが積み重なって、メンタルを弱くしてこともあるだろう。

一時的なことを重ねていけば、強くなれるわけでもない。
では、どうしていけば、少しは軽減できるようになるのか?
これについては、長くなるので、またいずれ。

少なくとも私の場合は、考える→書く→整理するという流れで、自身の感情をある程度はコントロールしている。
一応ある程度はできているつもり、少なくとも気持ちは落ち着く。
ただ時間がかかるのが難点。

松下幸之助の言葉

困った困ったと思うから心も狹くなり、知恵も湧かないのである。
困っても困らないことである。
心配や憂いは新しくものを考え出すひとつの転機。
正々堂々とこれに取り組めば、新たな道がひらけてくる。
 by 松下幸之助。

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