ニューノーマルに適応するまでのステップ
➽➽ニューノーマルは掛け声なのか? ニューノーマルという言葉は毎日のように聞く。 ニューノーマルな時代が本当にやってくるかどうかは誰にもわからない。 現在求められている行動変容にしても、その目的を忘れ、ただカタチだけやっていて、促進・工夫を重ねていくことを忘れてしまっているのではないかと思える人もちらほら見かける。 以前書いた記事 「新たな日常に向けて準備を始める」に書いたニューノーマルに適応するまでのステップ を更に詳細にまとめた。 ただニューノーマルという言葉は、このコロナ禍で出てきたものではないことをまず思い出しておこう。 ➽3度目のニューノーマル 覚えている限りでいうと、ニューノーマルという言葉が使われるのは、新型コロナ感染拡大で3度目となる。 最初は2008年頃のリーマンショックを含む世界金融危機の後の経済を表す言葉として登場した。ビジネス・経済界で語られていた。要は新しいビジネスの業態を模索しなけばならないということだった。 二度目は2010年ぐらいから2012年にかけての大景気後退の後の状態を表す言葉として再び登場した。一度目の続きではあるが、金融の世界で使われており、構造的な変化が求められることが謳われていたが、社会全体に変革が求められているわけではなかった。 そして3度目となるのが、新型コロナウィルス後のニューノーマル。 社会インフラも壊れかかっており、日常における衛生保全に誰もが努めていて、コロナ前と同じような暮らしや仕事の進め方はできないと言われている。 今回ばかりは、社会全体に変革が求められている。 ➽経済活動と感染拡大防止を両立させる「人の動き」 人が移動し、人が集まり、人が直接的なコミュニケートをし、信頼できる相手を見つけて、ビジネスは成り立ってきた。これが地域から全国へ、そしてグローバルへと広がっていったというのが、経済活動(事業活動)の本質 だ。 ところが感染拡大防止は、人の移動に制限があり、人の集まりに制限があり、人との直接的なコミュニケートに制限がある。身体的な「共鳴」というものがない世界に突入しつつある。 冷房と暖房を同時にかけているようなものだといった喩えもあれば、ブレーキとアクセルを同時に踏んでいるようなものだという喩えもある。 さもありなんとも思うが、どうもどちらも「人」に関...