感染症と経営-戦前日本企業は「死の影」といかに向き合ったか

 「感染症と経営-戦前日本企業は「死の影」といかに向き合ったか/清水剛」を読了。
「きっと吉尾さんの欲求を満たすと思います」と友人の教授からお勧めしてもらったもの。
とはいうものの、読む目的がはっきりとないまま、ゴールデンウィーク前に購入し、積読山に置いていた。
Keeping Good Balance







著者は東京大学大学院総合文化研究科教授。
帯のキャッチコピー:~戦前日本の記憶がコロナ後「生きる」ヒントになる~ とある。
https://amzn.to/3uF73kc 



なんとなく気になるので、自分が何を気にしているのかを明らかにするために自問自答。


結局、「戦前の『感染即死型社会』のなかで、企業はどのように機能していたのかを知りたいことと、コロナ後の動向へのヒントを得たい」につながるかもしれないということを目的として読み始めた。







➽➽経営者や役員は読んでおいた方が良い

学術系の書籍で、論旨の展開もその通りで、いわゆるビジネス系の書籍と思って読み始めると「なんじゃこりゃ」ということになるかもしれない。
著者は総合文化研究の教授で、企業システムと経営学と法制度を研究している人なので、実践するためのネタが掲載されているわけではない。そこは勘違いしないようにしたいところだ。
  
「序章」だけ読んだみると、これは帯通りの書籍であることはわかる。
戦前日本では感染症が現代よりもはるかに死に直結していたとするところからスタートする。
スペイン風邪や結核の脅威=「死」がすぐそばにあり、それが小説「細雪」、流行歌「ゴンドラの唄」(「いのち短し恋せよ乙女」の一節が入っている曲)にもそうした現実が刻み込まれていて、それらは黒澤明の「生きる」にもつながるといった感じで、文芸作品なども使って戦前の企業経営を振り返り、アフターコロナの企業経営の在り方を示唆する経営史でもある。
戦後の他の文芸作品や企業スポーツの話しも登場してくるので、しっかり目的を持って読み進めていかないと、頭の中が混乱するだろう。
   
特に第6章では戦前のサラリーマンの話しが多く出てくる。戦後からのサラリーマン像はいわゆる「◯◯マン」と称されるようになることが一人前とされ、その所属する企業との永い関係性を維持していくことが重要とされていたが、現代のサラリーマンが「企業に閉じ込められないためにどう在ればよいのか」という示唆しているところもある。自立・自律という意味でもここは必読の章だろう。
論点となる「問い」が明確で、その問いを明らかにしようとしている点で良書だと思う。
また1920年代に脱個人化をおこなった企業の一事例として主婦之友社を扱っている。

かつての日本は戦後で思考停止に陥ることはなく、ずっと模索は続けてていくチカラ強さはあったのだと思える。この点だけは、現代は、自ら問うことをやめ、「答え」を周囲やネットに求め過ぎだと感じる。

➽➽この書籍を経営者や役員に読んでもらいたい理由

新型コロナの影響で、未だに情勢が安定せず、業績も安定しないなか、自社がどのように安全に事業を進めていくかで多くの企業がもがいている。「続けていれば、いつかもとに戻って、なんとかなる」と考えている経営者はいないと思うが、この「いないだろう」と想像がつく時点で「いるだろう」という前提に立っていることに気づいた。
そういう経営者にとっても、少なくとも以下の観点での考えるヒントになると思われる。
答えではなく、ヒント。

➽ヒントになる観点

・コロナ後の労働者と企業の関係
・コロナ後の労務管理の変化と示唆
・コロナ後の消費者と企業の関係
・コロナ後の株主と企業の関係
・コロナ後の企業像
といった各章ごとに戦前の企業が感染症とどう向き合ってきたか、またコロナ後にどう向き合っていくことになっていくのかが書かれている。

この書籍をビジネス本として見た場合、意味不明な人にとっては意味不明なままになるだろうけど、文学とか音楽というのは、エンタテインメントではあるけれど、文芸も人の営みだ。世相が反映されているから共感を生んで流行るのだから「感染死直結型社会」という観点では、戦前も現代も同じなのかもしれない。

➽➽模索は続くが思考停止だけは避けたい。 

現在の新型コロナの変異株は、マスク着用でも感染、感染経路不明の割合が増加。
「ワクチンが切り札」というのは、否めないとしても、それでも予防でしかない。
感染しないようとする予防である以上、それでも感染した場合どうするのか?

➽ワクチンが切り札だとしても

従来の対策を徹底しても、それを軽く乗り越えてくるんだから、ワクチンが切り札にならなかった場合に要請される動きは目に見えている。  
規模は違えど、表現は違えど、数年間はオープン&クローズの繰り返しになるだろう。
我々にできることは、感染防止対策と経済活動のバランスを取りながらも、片方にウェイトを置くことを繰返し続けていくしかないのだろう。
極端にいえば、Stop&Goの繰返し、近年「良し」とサれてきた経営手法が通じるかといえば、徐々に形骸化していくのかもしれない。
  
制限がかかっている企業(特に飲食関係)には気の毒としかいいようがない現状の対策であるが、人間の経済活動は「人流」の中で生み出されてきたことは否めない。
ここに制限が加わった。企業側だけの問題ではなく、消費者側も変わらなければ、この難局は乗り越えられないものなのだろう。

戦前の感染死直結社会において、企業経営者はどのように判断し、対応していたのか?この一点のみを目的に読むことをお勧めする。
思考停止になった状態に陥ることだけは避けたい。
  
ヒントになる観点として、コロナ後の政治と企業の関係も欲しかったとは思うが、
それについては、次に期待するとして、経営者やそれに準じる方々は、こちらも合わせて読んでおく必要はあるだろうと思う。
少なくとも今の感染対策に「基準を示せ!」「エビデンスを!」ともっともなことを言うことの意味は理解できるだろう。

政府と専門家会議の間にどんな溝があり、その溝の在り様がどのようなものかはわかる。
これらが企業の経済活動にどう影響したのかを重ねてみると、政治と企業の関係もあるていどは想像はつくかもしれない。








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